なぜわたしに健康診断や人間ドックが不要なのか

2025年10月9日

健康診断、人間ドックの度に不愉快になる理由について考えてみたのだが、現時点で一番しっくりくる表現は、これだ。

自分の死に方を考えさせられるから

健康について考えるんじゃない。
自分の身体のコンディションについてどう対峙するのか、という考え方の基本スタンスについてしっかりと決断を迫られるから、ストレスなんだろう。

わたしは、どんな結果だろうが身体のコンディションは全て受け入れるし、治療は望まない。故に、根掘り葉掘り不具合箇所を見つける検査なんて不要。
そう決めているところに、さらにあれやこれやと情報をインプットしてくること自体が大きなお世話のストレッサーでしかない。

不同意とした検査項目についての考え方も、残しておこう。ブレないために。

上部消化管内視鏡検査

もちろん、不同意。
胃ガンの早期発見が一番の目的だろうけど、まず、ピロリ菌検査をしていてリスクは低い。
その上でガンになったら、それはもう仕方ないし受け入れようと決めているから、そもそもこの検査を受ける必要はない。
「バリウムにしますか?」って、そもそもそれも不要。

下部消化管(S状結腸)内視鏡検査

もちろん、不同意。
こちらは、検便の潜血検査で見つからなければ、それは運命として受け入れよう。そこまで粗探しのようにガンを見つけ出さなくても良い。

下部消化管の内視鏡を受けない場合、「腸内フローラ検査」または「大腸がんリスク検査」を選択して受けることもできる。

腸内フローラ検査

これは単純にちょっと興味があった。
だけど、疾患のリスク判定とかされてしまう。検査結果を見たことで、今後、リスクを考えて自分の行動に制約が生じるのでは?
自由のために、知るべきではないこともあると思う。教えてもらわないのではなくて、そもそもが情報が存在しない状態にしておくことで、あきらめがつくのだと思う。
なので、結果的に「いりません」と。

大腸がんリスク検査

大腸がんリスクがわかってどうする? リスクがあるから運動をするのか? お肉を控えるのか?
たぶん、リスクを知ったから行動を変えるのではなくて、そもそもどのように生きたいか、という目的とか目標があって、そのためにデータを使うんだろうけど、わたしには「生きたい」という前向きな気持ちはないし、「生きている」という状態を受け止めているだけ。
なので、結果的に「いりません」と。

また、最近デフォルトで「遺伝子検査Genovision Dock」が利用できるらしい。

遺伝子検査

これもまた、将来の病気の発症リスクなのが示されるという。
示されたからなんだ? 遺伝子を変えられるのか?
生活を変えろ、と簡単に言うかもしれないけれど、生活自体も個人のアイデンティティーなんだから、余計なお世話だと思う。
なんとしてでも生き残りたいのであれば生活を改善するのだろうけど、そんなことするくらいだったら死んだ方がマシ。

当たり前のように「同意のサインをお願いします」なんて言われるものだから、「これって、同意しないこともできますか?」って聞いちゃいました。
え、できますけど、ってことだったので「じゃ、不同意です」と。

様々な項目を拒否しまくった結果、「日帰りもできますけど、どうしますか?」って。
それ、早く言ってよ……。荷物重かったんだからさ。

個々の検査について、自分の受け取り方とかスタンスとかを整理していくと、本当に絶望的な気持ちになってくる。あぁ、死ぬんだな。
こんな気持ちにさせられたストレスで、わたしの寿命は縮んだだろうな。ありがとう。

人間ドックの受検、ということだけなのに、本当に心が萎えました。なにもしていないのに(検査すら拒否して身体の負担がほとんどないのに)疲労感が半端ない。
人間の身体が精神と密に連携しているんだな、と改めて感じたところです。

あと何日すると、このモヤモヤ感が解消されるんでしょう? 3週間くらいすると結果が見られるようになるというけれど、それを見たらまたモヤモヤするに違いない。
結果は見ないで捨てよう。それがいい。

どうか、わたしを放っておいてください。

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Posted by ichizy