死んだと思って断捨離しないと終わらない

2022年5月23日

平日はいつも、「部屋が散らかっている」「捨てないと」と思って過ごしてます。次の週末に処分しよう、いや、今日の夜に捨てよう……と思うのだけど、なかなか片付けられないもので。

不要なものを眺めては、「自分が明日死んだら、これ、誰が処分するんだ?」と思うのだけど、どうして思ったときにその流れで捨てられないんだろう。自分の優柔不断さを憂う。

「大事なものは写真を撮って捨てる」というテクニックはわかっているものの、そこに欲が出てしまう。「記憶を残して捨てたい」と。ただ写真を撮るだけじゃなく、なんかしらの想いをテキストとして添えて残したい。そうやってハードルを上げてしまっているから捨てられないのかもしれない。

そんな風に記録を残したって、このデジタルの世界、一瞬にしてなかったことになるのだ。なんと儚い世界だ。

コンテンツも無駄だし、考えていることも無駄だし、これを終わらせるには……もう終わったと思って生きた方がいいのかもしれないね。

私の持ち物は、私の持ち物だったもの。私は、私の後始末をする。これから先は、そうやって生きていくのが大事かもしれない。

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Posted by ichizy